キュレーションされた情報のインプットで満足していないか?~be a diggerのススメ~
自分自身への戒めの協賛でお送りします。
もうタイトルの通り、なのでこれ以上書くこともないのですが簡単に。
いまこのブログを読んでいるあなたも、そして僕自身も、現代日本で生活している以上、無限の情報に覆い尽くされています。
そしてよほど自覚的でなければ、それらのほとんどは「だれか」あるいは「なにか」によってキュレートされた情報でしょう。
このブログ自体、SNSでタイムラインに流れてきたからクリックしてみた、という方はあなた自身のタイムラインによってキュレートされています。
この場合のキュレーターはあなた自身か、あるいはツールとして用いているSNSのプラットフォームですね。
人があるコンテンツに触れる時、ほとんどの場合なにかしらのキュレーションの力によってそのコンテンツが選択肢のひとつとして目の前に立ち現れてきます。
それを見るか見ないかはあなた自身が選択しているようであったとしても。
本を読むときも、だれかがおすすめしていたり、なにかの賞を獲っていたり、好きな著者や出版社によるものであったり、あるいは本屋や図書館だってそれ自体がひとつのキュレーターとして作用しています。
言うまでもなく、そうした情報から自分の興味のあるコンテンツを消費するだけでも、可処分時間を食いつぶすには十分すぎる情報があふれています。
それで良いじゃないか、という方ももちろんいらっしゃるでしょう。
自分の興味関心を満たしてくれる雑誌の定期購読やSNSでのフォロイーの最適化を図っていけば、いつでも満足する情報にアクセスできるでしょう、と。
ただ、そうした情報との向き合い方、インプットの方法にあぐらをかいていると危険だと思っていて。
継続していくと物事を見るための軸は形成されていくのですが、なにかを探求する力はあまり養われないのではないかと思っています。
そして、趣味でも仕事でも、楽しく充実させるためには後者の探求力がとても重要なのではないか、と。
なぜかというと、自ら掘り起こしアクセスした情報は、キュレーションされて摂取されたそれと異なり、なにかを知ろうとした動機との関係が生まれて自分ごと化されていくから。
その時点で、情報そのものはオリジナルなものでなくとも、あなたとの関係性はユニークなものになっているはず。
それを積み重ねていくことで、あなた自身の視点や思考がオリジナルなものになっていくのだと思います。
たとえば趣味が料理をつくることだとして、探求の果てにオリジナル料理を生み出してしまったら、初めて出会った人との雑談にも花が咲きそうですよね?
そんなわけで、編集者たるもの仕事以外の日常もdiggerであろうと、ふと思ったので備忘録としてまとめておきました。
それではまた!