【失敗談】炎上が成長させてくれることもある。けど狙うのはオススメしないよ
これまで本ブログにて、建築学生向けに情報発信することのメリットを綴ってきました。
ここで炎上について考えてみたいと思います。
さすがに今どき、個人で炎上を狙う人などいないとは思いますが…
マーケティング不在の炎上マーケティングなど、何のメリットもないですからね。
ただ、意図せず炎上してしまう、あるいは炎上まで行かずとも、発信内容に対して批判的な意見を受け取ることはどうしても避けられません。
僕自身は、これまでなにかを批判するような記事を書いたこともなく、基本的には僕なりの建築の楽しみ方を発信してきました。
けれど一度だけ、賛同よりも批判的な反応を多く、かつ大きなインパクトをもって頂戴した記事がありました。
今年取り壊しとなった、菊竹清訓氏設計の旧都城市民会館について書いた記事です。
ざっくり経緯を整理します。
・旧都城市民会館の老朽化に伴い、保存活用案が公募される(有効策がなければ解体)
・ひとりの建築ファンとして、壊れゆく名建築を黙って見ているしかないのか、なにかできることはないのか、考えた記事を発表
・批判的なコメントとセットでTwitter等で多数シェアされる
普段から僕の記事を読んでくれていて、僕の考えに共感してくれた人や、もともと建築が好きで、菊竹さんの名建築を惜しむ人からは、賛同の感想もいただきました。
一方で、建築に携わっている方でも特に現実的に旧市民会館の保存活用がどれほど困難であるかをよく理解している人や、地方のリアルな現実に立ち向かっている方々からは、多くの批判的意見をいただきました。
後者の意見がより実際的で切迫していることから、ひとつひとつの意見が重く、またTwitterというツールの性格上、端的に反対意見を表明するため非常に攻撃的な表現が見られました。
否定とともにシェアされ、それを読んだ人がまた否定とともにシェアしていく。
そうやってPVがじわじわと伸びていったことも事実ではあります。
結果的には、このことによって自分の視野の狭さに気づかされ、成長のきっかけにもなりました。
はるばる都城市を訪れ、旧市民会館と対面したいと表明した僕に、渡航費をカンパしてくれた方もいらっしゃいました。
けれどこれをもし炎上を狙って書いていたら、「成長のきっかけになった」なんて悠長なことを言っていられない状況に追い込まれたんじゃないかと思います。
どのような内容であっても、批判に向き合うためにはそれなりの体力が必要です。
対面で議論ができるならまだしも、顔も知らない相手が自分の記事を批判的に紹介している、そこに持論をぶつけに行く勇気は当時の僕には(いまも)ありませんでした。
反対意見を飲み込んで、自分の考え方をアップデートする、それだけでも十分疲弊しましたし、自分の中で納得の行く答えが出るまで、しばらく囚われてしまっていたと思います。
決して誰かの気分を害するつもりで書いた記事ではありません。
それでもこうした結果を生む場合もある。
炎上なんて狙わなくとも、批判と対峙し成長の糧にする機会は必ず訪れます。
これからなにかを発信していきたい人のご参考になれば、幸いです。