情報発信の際に気をつけたい、抽象化の重要性と一般化の罠
改めてここで書くまでもなく、近年「抽象化」思考の重要性が取り沙汰されています。
専門性を追求してきた各分野が、研究から実用に目を向けた際に抽象化が必要になったり、日々目の当たりにする情報からなにかを得ようとするときに必要とされる考え方です。
特にビジネスに生きる抽象化思考の実践的活用方法を提示した『メモの魔力』は、ベストセラーになりました。
具体的事象を一旦抽象化することで自分自身の課題に引きつけ、アイディアに転用する指南書です。
建築に従事している人であれば、特に意識することもなく日常的にこの抽象化の視点をもっているはずです。
有名な建築作品を見てなにか自分の活動に生かせる部分がないか、盗み取ろうとする姿勢がまさに抽象化そのものですからね。
また他業種のプロとの協働や、建築の専門的知識のないクライアントとのコミュニケーションにおいても、必然的に習慣化されていると思います。
これから情報発信に力を入れよう、という人にとっても、抽象化の思考は有効です。
たとえばTwitterにおいて膨大に流れてくる情報を、丁寧に抽象化して共有すると、「なるほどそういうことだったのか」とあなたの抽象化作業によって気づきを得た人に、興味をもってもらえる。
抽象化が獲得するのは、幅広い人に「自分ごと化」してもらうことです。
毎日ひとつでも、自分の専門分野のニュースについて抽象化してツイートすれば、少しずつフォローしてくれる人も増えていくでしょう。
反対に巧みな「ストーリー」が共感を呼ぶのも、具体的なシーンのなかに「これは自分のことかも」と思わせる抽象性をうまく織り込んでいるからだと思います。
抽象化と似て非なる「一般化」の危険性
日々SNSを巡回していて感じるのが、この抽象化と一般化をごっちゃにして損してる人が多いなぁ、というものです。
たとえば「○○という会社で残業代が支払われていないことがわかった」というニュースがあったとします。
ここで「建築業界はブラック」とやってしまうのが一般化。
さまざまな企業がしのぎを削る業界をひと括りにしてブラックと断じてしまうと、「ウチはこんな取り組みで労働環境の改善に取り組んでますけど?」みたいな意見とぶつかってしまうわけですね。
「主語が大きすぎる」という批判も同種のものです。
さすがにそんな単純なことでいちいち衝突も起きないでしょ…と思われる方はぜひTwitterで検索してみてください。
日々不毛なやり取りが繰り広げられていますゆえ…
あまりにも少ない情報ながら、「○○という会社で残業代が支払われていないことがわかった」というニュースからだれかの気づきになりえる抽象化を試みてみましょう。
たとえば残業代が支払われない理由を労働効率の悪さから起因するものと仮定すると、
・社内でのコミュニケーションはどのように行われているか
・協力会社との〃
・クライアントとの〃
・業務推進のために必要なアウトプットにはどのようなものがあるか
・それぞれのアウトプットはどのように行われているか
などなど、追加の情報が必要になってきます。
そうした情報を整理して、「問題の本質はここにありそうだ」とポイントを掴む、そのうえでさらに、他業種の成功事例から「このツールを導入すると労働効率が上がるのではないか」とまとめるところまでできて、ようやくだれかの役に立つ情報に昇華します。
情報の受け手からすると、一見この抽象化と一般化は似ているように感じてしまいます。
けれど発信する側に立つと、ふたつの難易度とそのために必要なコストが大きくことなることがわかるでしょう。
ついつい安易な一般化を選択してしまうと、手痛いダメージを食らうことになります。
そんなことを考えていたら、若いビジネスパーソンのバイブル、「新R25」で興味深い特集が組まれていたのでご紹介します。
ポケモンGOの魅力を茂木健一郎さん、箕輪厚介さん、三浦崇宏さんの3名がそれぞれの専門性をもとに語っているもの。
こうした即時的なインタビューであっても、見事にサービスを抽象化して語ることができるのは、専門性の追求とあわせて抽象化することが習慣になっているからではないかなと思います。